生徒のことなど頭に無い教師による暴言
父親の死で修学旅行不参加の中3男子生徒、担任の暴言で不登校に 「書くことがないことはないやろ」
との記事が神戸新聞(Yahoo!ニュース)に掲載されました。
記事によると、2021年10月13日の早朝に生徒の父親が倒れて死亡し、担任は通夜に参列した。
この日は修学旅行の出発日だったが、父親が倒れて亡くなった生徒はもちろん参加しませんでした。
忌引きによる欠席後の19日、登校したクラスで修学旅行についてまとめる授業があった。
感想や思ったことなどをまとめて書く授業だと思われます。
この生徒は亡くなった父を思い出してしまい、何もできなかったそうです。
当然ですね、参加していないのですから。
するとこの担任はこの生徒に対して
「書くことがないことはないやろ」
「おまえにとって修学旅行はそんなもんやったんか」
と怒ったと記事には書かれていました。
後日談なのかもしれませんが、この生徒は
「お父さんが死んだのに何で。頭が真っ白になった」
周りの生徒からも
「(生徒は)旅行に行ってないです」と指摘する声もその場であったようですし
「(生徒の父親の死を)何で忘れてるのかと思った」
「クラス中に聞こえる声。あれはない」
と担任のこの生徒への発言は怒るという範疇を超えて、怒鳴る・暴言に近かったと予想されます。
授業後に生徒に対して謝ったそうですが、これって謝れば済む問題ではないです。
この担任は教師としての資質が皆無
父親の死後初めて登校する前日、この生徒の母親は担任に直接学校へ行って話したのか電話なのかはわかりませんが、配慮を求めていたそうです。
また新聞記事にはこの生徒は軽い知的障害があったとも記載されていますので、母親としては余計に心配してのことだったのでしょう。
配慮を求められていたにも関わらずこの担任はそう言ったことを無視して、生徒に対して暴言を放って修学旅行のことについて書くように求めたというのです。
これはさすがに教師としての資質は皆無ですね。
「本当に先生なのか」と、生徒の母親も資質を疑問視しているそうですが、当然でしょう。
それだけではなく、この修学旅行に関することをこの生徒がいる授業時間中に行う必要ってあったのかな?
例えば宿題の形にして、家で書いてくるように求めることもできたはず。
たいてい中学校は修学旅行から帰ってきた翌日は学校を休みにするか、昼までで授業を切り上げることが多いのですから、家で書くように求めたって全くおかしなことではなかったはず。
なぜこの生徒がいる時間を使って修学旅行のことを書かせたのかも変だなと思います。
とにかく配慮を求められなかったとしても、ふつうは教師として父親の死を修学旅行当日に直面した生徒に配慮するものだし、特に配慮を求められたとすれば、人としても失格じゃないのかな。
この担任は新聞社の取材に対して
「旅行を欠席した生徒には事前学習について書くよう指示していた」
「父親の死を忘れていたわけではない。言い方に配慮が足りなかった」
と言い訳しているようですが、
「おまえにとって修学旅行はそんなもんやったんか」
との発言との整合性が全く取れていません。
とにかく自己保身に走る教師の典型例ですね。
この新聞社への発言だけでも、この教師は教師としての資質は皆無です。
校長は
「男子生徒の受け止め方を考えれば不適切と言わざるを得ない」
と話しているそうですが、生徒の受け止め方云々ではなく、発言そのものが不適切以外の何物でもありません。
では、あっけらかんとしている生徒に対しては、同様の発言をしても問題はないと考えているのでしょうか。
その考え方も間違っていると思いますけど。
市教育委員会は
「デリカシーがない」
としつつも現状では対応については
「まだ何とも言えない」
お得意の逃げに走っているようですね、市教育委員会は。
そもそもデリカシーの問題ではなく、教師としてそして人としての資質がないのですから、二度と教壇に立たせないようにするのが市教育委員会の責務です。
卒業式にも出席できなかった生徒
この生徒は担任が謝罪した後も
「普段から自分に威圧的。お父さんの死を踏みにじられたようだった」
と話し、長時間手や腕を洗うようになったうえ、自分自身が危害を及ぼしたのではないかと不安になる加害妄想の症状が現れ、さらに不眠に陥り今年の1月下旬からは
「先生の顔を見るのも声を聞くのも嫌」
と学校を休みがちになり、3月16日の卒業式にも参加できなかった。
医療機関で受診したところ
「担任との関わりの困難さがストレスと訴えており症状に影響している可能性がある」
として
「不安障害」「強迫性障害」と診断された。
教員の資格を取りあえず持っているが、教師としての資質が皆無な人間が教壇に立つ悲劇です。
勉強を教えるだけ、受験テクニックを教えるだけの人間は学校ではなく、家庭教師になるか塾で教えるようにしてください。
学校を就職先とした「教員」「教師」が「先生」にはなり切れていないのに、あたかも自分は「先生」になった気分だけで仕事をする弊害の事例の一つです。
「先生」だから自分は偉く、生徒は何でも自分の言うことに従うもの。
そんな勘違いをしている教師たち。
兵庫県明石市立衣川中学校でのこの出来事も、まったく資質がないのに自分は「先生」なのだと勘違いしている人間による悲劇です。
生徒の心に大きな深い傷を負わした“犯罪者”と同様の教師は、二度と教壇に立つな。
これ以上被害者を増やすな。
そうとしか思えません。
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