学校は校門によって世間とは遮断された別世界だから校則も通用する

 

校則は必要だが教師が先に守れ!

 

あまりにもおかしな校則が全国的にはびこっており、そのような校則をブラック校則などと揶揄します。

 

下着の色は白でなければいけない。

学校によってはそのチェックは衝立などで周囲の視線を遮るような場所ではなく、異性の生徒から見られるような場所で行っている、なんてことも報道されました。

 

あまりにも華美で派手なものを避けさせる意図からこのような校則になったのかもしれませんが、だからと言って白に限定するというのはさすがにおかしい。

そしてそのチェックを周囲の視線を遮るような配慮も無く行うとなると、これはさすがに人権侵害でありほぼ犯罪行為です。

 

ある程度児童・生徒を律するために校則は必要です。

なにかも自由にしてよいというのは、さすがに教育の観点から言ってダメだと思います。

ただし校則を児童・生徒に徹底させる場合、教師の側もその校則を遵守できるのかを考えるべきでしょう。

極端な話が、児童・生徒に下着は白のみを強制するのならば、教師の側もそれを守りなさい。

他の生徒が見ているような環境で下着をチェックするのならば、教師の下着も同様にチェックすればいい。

教師の側が無理だと言い出すのならば、そのことを児童・生徒に押し付けるのも辞めるべきです。

 

大人である教師が「無理だ、我慢できない」という校則を、児童や生徒に押し付けてもよいとする理由はどこにあるのですか?

校則を教師は守らなくてもよいけど児童・生徒は守らなければならないという理由を、児童・生徒に対して客観的に説明することができる教師は存在するのでしょうか。

 

 

教師は決まりを守らない

多くの学校では、学校敷地内での喫煙を禁止しています。

ところが時々見つかってしまう教師がいますよね、禁止されていることは重々分かっているけれどどうしてもタバコを我慢することができなくて、隠れて吸ってしまうという事案が。

20歳を超えているのですからタバコを吸うことは法律に反してはいない、しかし教育の場ということで学校敷地内での喫煙を禁止しているわけです。

また喫煙している本人だけではなく、副流煙などによって喫煙しない第三者にまで健康被害を及ぼす懸念もありますし。

これって言ってみれば教師が校則を守ろうとはしていないわけで、生徒には強権的に校則を守るように求めていることと相反しています。

 

もちろん児童・生徒がタバコを所持していれば未成年の喫煙ということで、指導するのは当然のことでしょう。

しかしこれが校内への持ち込みが禁止されているスマホなどだったらどうなっていますか?

生徒に対しては「指導」という名のもとに個人の持ち物を強引に没収します。

カバンの中に隠せば脅しのようなセリフとともに、強制的に出させようとします。

私が中学生だった昭和50年代には「持ち物検査」という名のもとに、生徒の許可も得ずに強引にカバンの中を調べる教師も数多くいましたが。

 

生徒が校内へスマホを持ち込むことを禁止とするならば、教師の側も禁止にすればいい。

教師たちだって職員室で休憩するときには使っているのではないですか?

放課後に手が空いたときには使っていませんか?

それならば生徒にもお昼休みの間は使用を認めるがそれ以外の時間はダメとか、登校時にスマホを持っている生徒は申し出るルールとするとか、いくらでもやりようはあるはずです。

だいたい生徒一人に一台のタブレットを与える時代に、スマホは何が何でもダメなんて理屈が通るはずがないと思いますが。

 

また一般社会において、職場の上司の命令に背くことは許されません。

それは学校でも同じはずです。

実際のところ、教師から児童・生徒への命令は絶対的なものであり、その命令に背けば何らかのペナルティが課されます。

 

ところが校長からの命令に背く教師もいます。

君が代斉唱や国旗への起立という職務命令に従わない教師がいますが、思想信条の自由は当然尊重しなければいけないが、児童・生徒の面前で命令に背く姿を見せるのは教師としては失格。

あれは生徒児童に対して、気に入らない命令は無視してもいいんだと教えているのですか?

職務命令に従う気がなければ教師を辞めるか、せめて式典には出席しなければ良いだけのこと。

 

また学校の内情によっては、校長や教頭などほぼ無視で好き勝手にふるまうことさえあります。

神戸市立東須磨小学校での教員いじめ・暴行事件などがその例です。

 

教師の側はその行動が許されるけど、児童・生徒の側は許されないという。

教師自身にはルールを守るという概念がないのに、児童・生徒には有無を言わさずにルールを強権的に守らせようとする教師。

こんなことが学校内でまかり通っている怖さというものも感じます。

 

 

教師と学校は聖職者と聖域なのだ

以前は教師のことを聖職者、学校を聖域のように感じる方もいましたが、いま世間一般ではほとんどいないと思います。

しかし教師たちは今でも自分たちは聖職者であり、聖域で働いているという意識を強く持っている人が多数いるように感じます。

法曹界でも裁判官などは世間一般の感覚とはかなりずれた感覚を持っているようで、学校に関するさまざまな裁判の判決文を読んでみると、裁判官は教師や学校をいまだに聖職者であり聖域だと思い込んでいるのではないかと思ってしまいます。

 

校門は一般世界との空気の流れまでも遮断してしまうもので、校門の内側には学校という別世界(聖域)が存在し、さらに校則という一般社会では通用することがない別のルールが存在しています。

校則は学校内においては法律以上に遵守しなければいけないルールとなっていて、教師たちは校則をバックに自分たちこそが正義であるといわんばかりの態度を見せる。

教師や学校を束ねる位置として教育委員会があり、教育委員会もまた独自のルールや慣習そして思想を持っている。

そのルールや慣習そして思想は、児童・生徒やその保護者にとっては理解不能なものになっているのではないか。

 

いつしか教員も学校も教育委員会も、すべては自分たちの意のままにすべてを動かせるのだと思い込んでいるのではないか。

いじめ事案やわいせつ被害に対する教員・学校・教育委員会の初期の行動や発言が、このことを如実に物語っているように感じることが多いです。

※マスコミ等で話が広がった場合は少しだけマシな行動をすることもあるようですが

 

児童・生徒側から教師によるわいせつ事案の申し出があった場合によく聞く、校長や教頭によるセリフ

「当該教員を何度か聞き取りしましたが、そのような事実は確認されませんでした」

 

いじめ被害を訴えた場合でも同様のセリフを聞くことが多いです。

「加害者とされる生徒に事情を聴きましたが、そのような事実は確認されませんでした」

 

このような報道などを見聞きするたびに

我々学校に対して何を楯突いてきてるのだ

我々のやり方で処理したのだからこれで文句はないだろう

そんな主張が垣間見られるような気がします。

ふつうに考えてみれば分かることですが、犯罪を犯した者や加害者に話を聞くだけで、申し出のあったような行為はありません!で済ませようとすること自体が異常なのです。

でも教師・学校・教育委員会はいまだにこんなことが通じると思っているようです。

あくまでその根底にあるのは

「我々の主張はすべて正しい」

 

一般人とは違い我々は聖職者であり、働いている場所は一般世界とは違って聖域であり、教育委員会はその聖域を守るための存在である。

そういう考えを持っているのだと思わなければ、教師・学校・教育委員会の行動をどうしても理解できないのです。

 

 

校則によって教師は考え違いを起こしているのではないか

冒頭にも記しましたが校則自体は必要だと思いますが、いわゆるブラック校則は必要ありません。

ブラック校則に反対なのは児童・生徒のためというよりも、教師・学校のためという側面が強いです。

 

校則によって児童・生徒を必要以上に縛るという行為は、実は教師・学校にとってもよくはありません。

どう考えてもおかしな校則を児童・生徒に押し付けて強権的に守らせるという行為は、結局は教師たちの考え違いを起こしているに過ぎないのです。

教師・学校側の話をおとなしく“はいはい”と言って聞いているときには見せないけども、例えば保護者が学校での疑問に関して問い合わせた時には、学校のやり方に何か文句がありますか?的な態度を現すことからも垣間見えますよね。

 

結局教師たちは校門によって遮られた別世界の中で、法律とは全く異質な校則という名の決まりとともに過ごしている。

そして一般世界では考えられないような校則を児童・生徒に押し付け、守ろうとしない児童・生徒に対しては警察のように取り締まり、裁判官のように児童・生徒に罰を与える。

保護者に対しては門前払いを決め込んだり、モンスター・ペアレントとして扱うことで事態の収拾を図る。

 

このように学校という別世界の校則によって、教師たちはさも自分は偉いのだと勘違いしてしまうのでしょう。

そして児童・生徒は自分のしもべであるかのような錯覚を起こす者や、中には自身の性的欲求を解消してもよいものだと考えてしまう者まで出るのではないか。

自身が勤務する学校の児童・生徒にわいせつ行為を行う者や、他校の児童・生徒に手を出してしまう教師。

これらは児童・生徒というものは自分(教師)より下であり、たとえ自身の性的欲求の解消であっても児童・生徒には何を行っても問題はないという思考があるからではないでしょうか。

 

あまりにも厳しい校則・あまりにも理不尽な校則を設けることで、教師の側や学校自体が自分たちの身の丈を誤る原因になっていると思うのです。

校則を厳しくすればするほど教師は指導という名の強制がしやすくなり、結果的に自分たちは児童・生徒とは違って偉いのだと勘違いするのです。

最低限必要な校則以外を撤廃しなければ、児童・生徒を守るどころか危険な場所に放り込んでいる状態が続くのです。

 

 

校則がないと生徒を指導することができない学校と教師

冒頭に校則は生徒を律するためにある程度は必要だと書きました。

それはなぜかというと、今の教師たちは校則が無ければ生徒・児童を指導することができないからです。

 

校則でこれはダメと決まっているからダメ

 

例えば女子の頭髪は肩にかからない長さとしなければならないという校則があるとします。

この校則について、なぜこのような決まりになっているのかを理路整然と説明することができる教師なんていません。

教師からは説明ではなく

「校則で決まっているから」

以外の言葉を発することができる人なんていません。

 

結局は生徒を律するだけの力量がない教師しかいないから、校則が無いと指導できないのです。

 

自身に統治能力が無かったり、皆から信望されていない人や団体ほど厳しい規則に頼る傾向があるように思います。

これは学校だけではなく、企業においても同様のことが言えますよね。

 

売り上げが会社が定めた額に達しなかったら罰金を課すなんて企業があるとします。

本来ならばどうすれば売り上げを上げることができるのかを指導したり皆で話し合うなどして解決すべきなのに、会社にその力量がないから罰金を課すのであって、やはり上司や会社自体に信用と人望と指導能力(力量)が無い証拠だろうと思います。

これは学校にも言えることで、教師・学校に対して生徒・児童が信用・信頼している環境、つまりはそれだけの力量を教師たちが持っていれば校則なんて無くても生徒たちを律することはできる。

 

ただ残念なことに、今の学校には生徒・児童に信用・信頼される教師は皆無ですから、校則によって生徒たちを縛る以外に律することができないのです。

その校則は法律と照らし合わせると違法ではないかと思われるものも少なくなく、なぜそのような校則が通じるのかというと、学校は校門によって世間とは遮断された別世界だから。

別世界だということを認識できる教師が増えていけば、今のような校則は減っていくはずです。

 

若い教師たちの中にはやる気に満ち溢れているものの、先輩である教師や管理職である校長たちからの理不尽な命令、労基法をはるかに逸脱している時間外労働、経験のない部活を無理やり任されたり休日まで無くされる前時代的なほぼ無償の奉仕、意見や質問ではなく完全な言いがかりをつけてくるモンスターペアレントの対応。

教師自身も昔とは違って大変なのはもちろんわかります。

でもどこかで今の現状を断ち切らなければ、結局最も被害を受けるのは生徒たちです。

 

全てがいびつな構造になっている今の学校という名の別世界。

いつか正常な状態に戻るのだろうか。

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