先生と呼べる程度の価値もなし

 

 

先生ではなく教師と記す理由

私はこのブログで「先生」という呼称をほとんど使っていません。

「先生」と誰かが言った時などに限定しており、私は基本的に「教師」と記しています。

 

学校で子供に対して勉強を教える人だから「教員」と呼ぶのが正しいのかもしれませんが、「教員」はどちらかというと複数を指すイメージが私の中にはあり、それに対して「教師」は個人を指すイメージがあります。

学校のすべての教職員に対して記しているのではないから「教員」とは記さず、学校内のごく一部の教職員に対して記しているから「教師」としています。

そしてこのブログの大半で教職員全てに対してではなく、個人に対して資質のなさなどを書くことが多いので「教師」と記しているわけです。

 

ではなぜ「先生」という言葉を使わないのか。

 

大学で単位を習得して各都道府県教育委員会に申請すれば教員免許が取得できます。

公立学校ならば試験を受けて合格し採用されれば「教師」「教員」になれますし、私立学校の場合はそもそも試験があるのかもわからないのですが(卒業生だから採用するとか、塾で有名な講師だったからという理由で採用することも多い)、とりあえず採用されれば「教師」「教員」です。

 

そもそも「先生」の免許状ではなく「教員」の免許状ですよね。

 

そして学校に採用されて「教員」「教師」になるのであって「先生」として採用された人って私はお目にかかったことがありません。

誰一人学校に「先生」として採用されてはいません、あくまで「教員」「教師」として採用されているから私は「先生」とは記さない、ただそれだけです。

 

しかし私にとってはもっと重要な理由から「先生」とは呼びたくない、呼べないのもあるのです。

 

 

先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし

江戸時代に詠まれた川柳に次のようなものがあります。

 

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」

 

先生と呼んでいたとしても、必ずしも敬意を込めているのではなくむしろバカにすることのほうが多く、先生と呼ばれていい気になっている人を軽蔑している一面もある。

人をおだてるために先生呼ばわりする風潮、そして呼ばれて得意になっている人への批判をこめている川柳です。

すぐに「社長」なんて呼んだり、「社長」と言われていい気になっているのと同じですね。

 

私でさえも、時には人から先生と呼ばれる事がありますけれど、少しもこだわらず、無邪気に先生と呼ばれた時には、素直に微笑して、はい、と返事も出来ますが、向うの人が、ほんのちょっとでも計算して、意志を用いて、先生と呼びかけた場合には、すぐに感じて、その人から遠く突き離されたような、やり切れない気が致します。「先生と言われる程の」という諺は、なんという、いやな言葉でしょう。この諺ひとつの為に、日本のひとは、正当な尊敬の表現を失いました。

太宰治 風の便り より

 

学校の「教師」を「先生」と呼ぶ多くの保護者は別にバカにして「先生呼ばわり」しているのではなく、「教師」に対してのただの敬称として「さん」の代わりに「先生」と付けているだけで、太宰治が言うように「尊敬」の念を込めて「先生」と呼んでいる人は皆無でしょう。

 

実際私も学校内で特定の教師を呼ぶときには「○○先生」と呼んでおり、「○○教員」「〇〇教師」なんて呼ぶことはありません。

「○○教員」「〇〇教師」なんて呼び方をすれば、明らかにバカにしている呼び方ですから。

でも私は長年ずっと「先生」とはいったいどういう人のことを指し、どういう人を「先生」と呼ぶべきかを考えてきました。

「風が吹けば桶屋が儲かる」とは、昔からよく言われた言葉。

あるお店の商売が繁盛すると、そのご近所のお店にも来客が増えたり売り上げがアップする。

商人の世界というのは、まわりまわってみんなが潤うようになったり、逆に、ある企業やお店の倒産が、関連する人々に大きく影響を与えたりしています。

経済というのは、このように輪(循環)になっているんですよね。

実は、「先生」というのは、その輪に入っていない人々のことなんです。

つまり、「お金はいりません」という、お金を超えた貴い生き方を選択した人たちを、周りの人々が敬って「先生」と呼ぶのです。

だから、昔のお医者さんは、貧乏な人が多かった。

でも、生活には困らなかった。

なぜなら、命を救ってもらった患者さんたちが、心をこめて、その日とれた最も上等な農作物やお
魚を、命の恩人のお医者さんに届けるからです。

時代は変わって、現代社会では、お医者さんもそうですが、マーケティングなんかを研究して、人にお金をどう出させるかしか考えていないような人まで「先生」と呼ばれるようになりましたね。

先生と呼ばれる人たちも、彼らをチヤホヤする人たちも、襟を正さないといけない…。

「先生」という言葉の持つ、本当の意味をご存知ですか?から要約

教師は「子供の将来」を左右するからこそ「先生」と敬意をもって呼ばれるのであって、己の技能・才能をもって弱者である子供を助ける強者が教師であり、だからこそ「先生」と呼ばれるべきなのである。

しかし現実の教師は「自己の将来」を求めているに過ぎず、矜持や品格などははるか彼方に消え去った。

教師だけではなく「先生」と呼ばれるあらゆる職種の人の多くが自己保身だけを考え、弱者を助けようともせず、ただ見返りばかりを求め、逆に人々を困らせる存在に成り下がっている。

ならば「センセイ」は「先生」ではなく「先逝」でもよい。

Yahoo!知恵袋から要約

この2つの意見を読んだ時にようやく気付かされたのです。

これまでの人生で出会ってきた学校の「教師」の中に、「先生」と呼ぶことができる人物なんていなかった、と。

だから「先生」と呼んでもよい「教師」とはどういう人物なのかが分からなかったのだなと。

私が教わった「教師」だけではなく、私の子供たちが教わってきた「教師」の中にも「先生」と呼べる人物は1人もいなかった。

それどころか、私が教わってきた「教師」たちより数段低い「教師」たちが、私の子供たちに教科書に書かれていることだけを教えてきたのだなと。

 

「先生」とは

 

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」

どころか

「先生と呼べる程度の価値もなし」

のほうが今の時代に合っている気がしました。

 

 

今の学校に「先生」と呼べる教師はいない

学校でのブラック校則が問題になっています。

また生徒へのわいせつ事案で逮捕される教師も異常なほど多くなっています。

いじめ問題に真摯に向き合わず、表に出るまで(表に出てからも)完全に無視する教師もいます。

 

もしも「教師」たちが生徒・児童からも、その保護者たちからも信用されて尊敬される存在であれば、いわゆるブラック校則どころか校則自体が無くても学校は運営できますし、生徒・児童を正しい道へと導くこともできます。

そして教科書の内容をただ教えるだけではなく、生き方を教えることができる「教師」ならば、生徒・児童へのわいせつ事案など起こすこともないでしょうし、いじめ問題にも真摯に向き合うことができるでしょう。

 

「教師」は文科省の学習指導要領に従って勉強を教えるのが仕事です。

そういった意味では今の「教師」はよくできていると思います。

ただし「先生」と呼べるような人は見当たりません。

 

自身の力量の無さからブラック校則に安堵して生徒たちを指導する「教師」

生徒の将来なんて全く頭になく、ただ自身の性欲のはけ口としか生徒を見ていない「教師」

いじめ問題なんて面倒に巻き込まれたくない一心で、とにかく逃げるか強いほうに付くことしか考えない「教師」

こんな人たちしか学校にはいないから、とてもではないけど「教師」を「先生」とは呼ぶことはできません。

 

生徒たちより先に生まれただけの「先生」

生徒たちより先に死ぬことが多いのだから「先逝」でも良いはずです。

 

せめて

 

人様の子供を預かり、その時間中は自分が全責任を持って正しい指導をする

 

このくらいのこと思ってもらわないと、とてもじゃないけど「先生」なんて呼べません。

今の教師は上から言われたことだけを忠実に守る、ただの一地方公務員(私学の教師は一会社員)にすぎません。

これでは塾の講師を「先生」と呼ぶほうが正解かもしれないですね。

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