014 幻聴が聞こえるほど追い詰められていた

 

自己保身に懸命ないじめ加害者の教師たち

2020年1月30日(木)

太郎と私たち夫婦は高校へ行き、学年部長(学年主任)らと話し合いを行いました。

そしてその日の夕方、私は太郎と二人っきりで話をしました。

 

いじめの加害者は退学となるAだけではない、水泳部顧問もいじめの加害者だ

 

ということがわかりました。

無視する、他の水泳部員とは接し方がまったく違う、必要な連絡を行わない など

いじめと断定できるようなことを、水泳部顧問が行っていたのです。

 

 

この日の夕方、太郎のスマホにクラス担任からメールがありました。

謝罪の言葉とともに、3学期は時間割が変更になっているとの内容でした。

いろいろとあって登校できなかった事実もありますが、21日から24日までは登校していました。

そして24日には太郎の意思に反する内容の書面(嘆願書らしい)を書かされてもいます。

なのに今ごろになって3学期の時間割が変更になっていると連絡をしてくるって、さすがに遅すぎるのではないか?

 

太郎がクラスに復帰することなんて考えていなかったのだろうか。

やっぱりいじめ加害者のAの復帰ばかりが頭にあったのだろうか。

 

そんなことを考えてしまいました。

 

 

 

夜になると水泳部顧問から電話がかかってきました。

 

「学年の方からは電話などでの接触を禁じられていましたが、どうしても電話したかったので・・・」

 

この言葉を聞いた瞬間に私の頭に血が上ってしまい、このあと水泳部顧問が何を話したのかは全く覚えていません。

ひょっとしたら私は辛辣な言葉を並べていたのかもしれません。

開いた口が塞がらずただ話を聞き流していただけかも分かりません。

何分間くらい受話器を持っていたのかも分かりません。

私は全く覚えていないのです。

 

たぶん謝罪の言葉が並んでいたのだと思うのですが、受話器を置いてから思ったのは

“自己保身のために電話をかけてきたんだな”

その一点のみです。

 

太郎との話で水泳部顧問が太郎をいじめて死のフチまで追い詰めていたことは、この日の学年主任との話し合いの後に太郎から聞いたことです。

この時点で学校側が把握しているのは、1月6日以降の水泳部顧問やクラス担任による嘆願書要求における強要事案です。

それだけでも学年としては我が家との接触を禁じたわけです。

私は太郎から水泳部顧問によるいじめを聞いたわけですから、電話がかかってくれば頭に血が上るのもふつうのことです。

 

 

太郎が死が選ぶきっかけとなった行動をとってきたいじめ加害者の水泳部顧問。

Aによるいじめ発覚後に太郎をいじめたクラス担任と水泳部顧問。

この日の連絡は2人の自己保身のための行動だとしか感じることはできませんでした。

 

 

やさしさと体調不良とプレッシャー

2020年1月31日(金)

この日も学校を休ませた。

太郎もそうだが私や妻も気分転換が必要だと思い、USJへ行こうと太郎に持ちかけてみた。

しかし太郎は

「〇〇ちゃん学校へ行ってるのにかわいそう・・・USJは○○ちゃんがいるときに行きたい」

〇〇ちゃんとは2歳年上の兄で小学生の頃までは呼び捨てだったが、中学生になってからは「ちゃん」を付けて兄を呼んでいる。

太郎とは違ってそれほど運動神経が良くもないし、勉強ができるわけでもない。

でも太郎は小さいころから兄の一挙手一投足を見て育ち、日常の困ったことはすべて兄に頼って育ってきた。

兄はこの日学校へ行っており、兄がいない間にUSJへ行くのはダメだ、兄もUSJへ行きたいハズだし兄と一緒に行かなくちゃ楽しくないと言ってきました。

 

そこで四国まで車で出かけ、年に数回は通うお店へ行ってお刺身をいただくことに。

兄は生のお魚がダメなので、それならば○○ちゃんがいなくても行く!と太郎が快諾したためです。

 

 

2020年2月1日(土)

妻が仕事で出かけている間に、2回目の私と太郎との話し合いを行いました。

2日前の1月30日には水泳部顧問による太郎へのいじめを告白しましたが、この日は体調不良の事やプレッシャーについていろいろと話しをしてくれました。

この日も

私はイライラを抑えられずにきつい言葉を太郎に投げかけてしまいました。

 

肩の痛みが想像以上であることをこの日初めて聞きました。

肩の痛みは中学3年生の頃からずっと続いている。

痛みのピークは高校の水泳部から初めて出場した試合の頃で、中学3年生の総体の頃より3秒以上タイムを落としていました。

 

何とかタイムを上げなければとYouTubeで調べた筋トレを家で行うと肩の痛みを悪化させてしまい、これ以上頑張ったところでタイムを上げることは不可能と思い、水泳を辞めて勉強で頑張ろうと思うこともあった。

1-中学3年生の夏以降はタイムが伸びなかった
スポーツ推薦が決まった府県の総体 私立高校へのスポーツ推薦が決まった府県の中学校総体ですが、実はこのときすでに体に異変を感じていたのではないかと思うのです。 府県の中学総体の1か月前の試合で、肩が痛いとの理由で初めて棄権...

 

またスイミングスクールでは年下の速い選手がたくさん移籍してきたことで焦りがあり、先ほど書いたような筋トレを行ったしまったようでした。

そういった年下の選手から

「どうやったら速く泳げますか?」

のような質問をされつつ、練習のときに抜かれることが多くなり辛く情けなく思うこともあった。

 

スイミングスクールに先輩が少なくなったこともしんどく感じた原因のひとつで、特に同じ学校に通う1つ年上の先輩が、2019年末にスイミングスクールを辞めて学校での練習に切り替えたことはショックだったと。

1月21日に登校を再開するにあたって、一緒に登校してほしいと太郎自身がお願いしたのもこの先輩でした。

まったくチャラチャラした感じが無くむしろきちんと挨拶をしてくる人で、太郎も気軽に話しかけることができる先輩のようでした。

この先輩がスイミングスクールを去ったあと、太郎より年上の男子は一人だけ。

太郎と同学年の女子はいるのですが男子はおらず、しんどかったようでした。

 

 

幻聴

この日の太郎との話でショッキングだったのは、幻聴が聞こえるようになっていたことを告白された時でした。

 

スイミングスクールからの帰りの電車内。

我が家の最寄り駅へ到着する夜10時過ぎの車内はカラっぽになっていることが多く、2019年9月ごろからその車内にいるときに誰かに睨まれてにらまれているように感じるようになった。

睨んできているほうを見ても誰もおらず、少し気色が悪いと思うようになっていた。

やがて睨んでくるだけではなく

「お前なんて水泳を辞めてしまえ」

という声も聞こえるようになってきた。

しばらくすると車内だけではなく、自宅のお風呂やトイレ内でも聞こえてくるようになった。

 

1月6日、とある駅の個室トイレ内にいるとき

「お前なんか死んでしまえ」

という声が聞こえてきて、その声から逃れるために手首を切ったのだと告白されたのです。

 

2-幻聴の恐怖に耐えていたことには気付かなかった
反抗期なのかと思っていた 一般的に第二次反抗期と呼ばれるものは、体が大人へと変化するとともに心のギャップが大きくなってくる中学生くらいから現れると言われています。 親に反抗的な態度を取ったり、それまではキチンと挨拶をして...

 

 

ということは、太郎が死を決心した最大の理由はスイミングスクールでのプレッシャーと自身の肩痛が原因ではないのかと思い

 

「そこまで大変な目に遭ったのだったらスイミングスクールは辞める?」

 

そう聞いてみましたが

 

「ううん、スイミングには行く」

 

とはっきりと答えました。

 

 

「じゃあ水泳部は?」

 

 

「水泳部は辞める・・・」

 

 

この日以降、私は太郎に対してきつい言葉を投げかけることは辞めました。

できなくなったというのが正しい表現ですね。

死を選択するところまで追いやられ、その原因を話してくれた太郎。

心にはさまざまな深い傷が刻まれ

その傷とこれから長い年月の間向き合って生きていく太郎に、私がきつい言葉で叱責する資格なんてありません。

太郎のこれからの人生を考えた時、私が自身のイライラを抑えることなんてどれほど簡単な事か。

 

 

なぜ兄や親しい先輩に相談しなかったのか

ずっと兄のそばにいて、兄が喜びそうなことはするけど嫌がりそうなことは絶対にしない。

そして数少ない親しい先輩。

その2人に少しでも相談していれば今回のような結末は迎えなかったのではないか。

 

「お父さんやお母さんには言いづらくても、お兄ちゃんや先輩に一言でもいいから相談するつもりはなかったの?」

 

太郎の答えは

 

「迷惑を掛けちゃいけないと思ったから・・・」

 

その答えを聞いて私は

 

「いじめられていることを話すのが恥ずかしいと思ったの?」

 

太郎は

 

「ううん、恥ずかしいとは思わなかったけど、僕の個人的なことで巻き込んだら悪いと思ったから」

 

それですべてを抱え込んでしまったようです。

 

 

 

水泳部顧問には無視をされ必要な連絡も太郎にはしてこなかった。

太郎の中では、自分は水泳部顧問からは必要とされていないと感じた。

 

水泳部顧問からのいじめが続く中、今度はAから太郎のことを屈辱と軽蔑に満ちた言葉が襲い掛かる。

 

太郎は肩痛を抱えながらなんとか打破するために筋トレをしてみるものの、それがあだとなって肩痛がさらにひどくなって満足に泳ぐこともできなくなった。

 

そしてスイミングスクールの後輩たちが自分より速く泳いでいる姿を見て、もう逃げ場はなくなっていった。

悩むうちに精神的に相当追い詰められてしまい、幻聴が聞こえるようになった。

 

自殺を図ったのも幻聴によって追い詰められたから。

なぜその日学校へ行かなかったのか。

始業式当日の登校前に、学校近くの神社へ水泳部として全員で初詣をすることになっており、そこには当然ながら水泳部顧問とAがいるからだ。

 

 

学校へは後日水泳部を辞めることを正式に伝えることにして、この日は夕方に太郎と私の2人でスイミングスクールを訪れました。

そして水泳部を辞めることを伝え、スイミングスクールへは今後も通うことを伝えました。

 

「選手として泳いでいる限り、肩や腰に故障を抱えるのはふつうのこと。みんな病院や整骨院へ通ってケアをしているよ」

 

この言葉を中学生の頃に聞いていれば、今回のようなことは起きなかったかもしれない。

そうも思ったけど、水泳部顧問に関してはタイムや肩痛とかは関係がない。

なにせ太郎を無視し続けていたのですから。

 

 

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