スマホと小学生
2020年10月22~23日付の各新聞で一斉に取り上げられている、いじめの認知件数が過去最多の61万件に上ったという報道。
文部科学省が毎年10月に、前年度に学校がいじめがあったとと認知して報告した数を集計して公表しているのですが、平成27年度ごろから小学校でのいじめ認知件数が急激に増加しています。
小学生の場合は、“からかう”などいじめの初期段階といわれるものを積極的に報告することで認知件数が増えているのであり、教師側の積極的な行動を肯定的に捉えているようです。
小学生の特に低学年の場合は隠れて・こそこそいじめるというよりは、表立ったところでのトラブルが多いために発見しやすいからだと思います。
ただ小学生でもスマホを持つ子供が増えて、SNSなどに心を傷つけるような内容を投稿するケースもあるはずですが、この辺りは小学校ではどのように注意し発見しているのかは気になるところです。
中高校生の間で起こるいじめはSNSを使うことで陰に隠れがちになり、学校側がいじめがあったと認知するころには重大な局面に近付いている、または手遅れだったケースが多いように思うのですが。
道徳とまでは言いませんが、小学校でSNSなどスマホの使い方についての時間を設ける必要がすでにあるのではと感じます。
あわせて性教育なども行うことで、SNSによって身の危険がすぐそばにまで来ているのだということも教えていく必要があるのかなと思います。
それ以上に子供にスマホを手渡すかぎりは、子どもに嫌がられようともSNSのメリットとデメリットなども含めて、きちんと家庭で教育する必要があるのだろうと思います。
スマホを欲しがるから与えた
だけではダメです。
長期欠席や自殺
深刻な心身の被害や長期欠席を伴う重大事態は4年連続で増加し723件、自殺者は317人と令和元年度も深刻な状況が続いていることが分かります。
ここまで苦しめられて追い詰められても、教師も親もなかなか気づくことができない。
学校での話なのだから教師がもっとしっかりと対応してほしい
この気持ちは本当に分かりますが、1クラスに数十人いる生徒の様子をひとりひとり細かくチェックすることは無理です。
教師たちが気付くのは、生徒の集団の中にあって一人だけ何だか様子が違うといった違和感からのはず。
そして違和感を感じとったときには、すでにいじめの程度はかなり進行しているのではないでしょうか。
では家庭で子供の様子の変化を感じ取ることができるのかというと、これもまたかなり難しい。このブログにはくわしくは書きませんが、 私の息子も高1の時にいじめなどによって自殺未遂と長期欠席に追い込まれたのですが、家庭では
「疲れているのかな」
「大変なのかな」
ということしか感じ取れませんでしたから。
本当に生徒同士のいじめだけが原因なのか
いじめは生徒同士で起こるものと文部科学省は考えているかのようですが、本当にそうなのでしょうか。
教師の何気ない一言、何気ない行動、その一つ一つが重大な事態につながることは往々にして起こります。
同級生からのいじめによって傷ついているところに、いじめが行われていることに気付いていない教師による言動で取り返しのつかないことに陥る。
またその子供なりに必死でSOSを発信しているのに、教師も親も気づくことができずに重大な局面を迎えることもあるでしょう。
私の息子のケースですが
だから親には言えない
悟られないように家では努めて明るく振舞っていた
本当はその無理に明るく振舞おうとしていたことが、彼なりのSOSだったのかなと今になって思います。
それまで好きだった食べ物を食べなくなったり、やけに疲れた様子を見せていたりもしていたのですが、気付いてあげることはできませんでした。
一言だけでも発してくれれば
「学校に行きたくない」
その一言を一回だけで良いから・・・
今でもそう思います。
同じ部活で同じクラスの同級生からのいじめが元々の原因だったのですが、それに加えて私の息子は部活の顧問から無視されていると感じていたことで、かなり追い詰められていったのです。
いじめ発覚後の教師や保護者によるフォローがいかに大事か
タイトルの通りでして、いじめが発覚した後学校側や保護者がいかにフォローできるのかが大事か。
息子の件で本当に感じました。
いじめが発覚した後の部活顧問の発言や行動によって、何とか無理して学校へ行っていたのに行けなくなりました。
家の玄関を出たところで目まいを起こし、身体が硬直する症状が出ました。
あるときは過呼吸の症状も出ました。
幻聴が聞こえていたようで、耳を抑えてふさぎ込むこともありました。
これらはすべていじめが発覚して以降、部活顧問らの言動によって引き起こされました。
部活顧問は自己保身に走りましたからね。
家庭ではとにかく笑える環境を作ることを念頭に行動しました。
くだらないギャグを言うといった意味ではなく、好きだったはずの食べ物を再び笑顔で食べられるように。
息子との会話でともに笑えるように。
ただそれだけを念頭に置いていました。
長期欠席で留年になりそうならばそれでも良いし。
学校へ行けそうになければ退学して通信制でも良いし。
とにかくいかに笑えるような状態に戻すことができるのかだけを考えていました。
部活は辞めましたが、学校は辞めずに通えるようになりました。
笑顔も戻ってきましたし、食べなくなっていた好きな食べ物を、今では笑顔を浮かべながら食べるようになっています。
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